FIVE FLAVORS : SIX FRUITS


伊藤勇気、ドラマー。POMERANIANS脱退後、バンドHYPE SESSIONS開始。下北沢TROCADERO HOUSEのライブプロデュースやドラム教室講師、ドラム・パーカッション等によるアーティストサポートなどを手がけている。
by youchang_pome
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MY BAND

2008年より"HYPE SESSIONS"開始。
次回ライブ:6/20(FRI)@六本木SUPER DELUX

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TROCADERO HOUSE
下北沢のビストロ・フレンチレストラン"トロカデロ・ハウス"。僕はライブ周りのプロデュースを行っています。素敵なアーティストが集まるライブイベントは必見です!自慢のお食事・飲み物も是非☆

TROCADERO HOUSEのブログ
実はこっそり僕が管理しています。トロカデロの最新イベント情報などが参照できます。

Yonny
2007年夏、逗子の海の家で偶然出会いがしら、彼女のライブにカホンで飛び入り参加した。その場で意気投合し運命的な出会いから、パーカッションによるサポートを開始。

rica tomorl
リカ・トゥモール。Yonnyとのツイン・ヴォーカル・グループ、東京エスムジカのヴォーカリストとして、2004年5月にメジャー・デビュー。2007年1月よりソロ活動をスタート。沖縄と東京を拠点に精力的にライブを行っている。天性のファットな声質に恵まれたナチュラル・ボーン・ヴォーカリスト(HPより引用させていただきました)
僕はドラム・パーカッショニストとしてライブ・レコーディングに参加しています。


BASS SYNDICATE
月1ペースでトロカデロハウスにて瀬川信二くんのライブを行っています。編成は瀬川信二(koyabu board, vo)、子安文(fiddle)、伊藤勇気(ds)で、カントリーや珠玉のカバーをお届けしてまーす!うまいワインの肴にどうぞ。

肯定アンサンブルズ

TUFF SESSIONのドラマーYaggy(ここではvo)率いる、アコースティックレゲエバンド。gtにSaw(the brother woods)、baにFunk(TUFF SESSION)、djembeにJun、cajonは僕が担当。
レゲエスタイルの有機的なセッションに乗せて、思うがままにリリックを放つ。それが肯定アンサンブルズスタイル。幼女は笑い、老婆は踊り、男達は爆笑する(実話)ライブを続行中。

nitt
2008年5月よりサポート開始!ポメラニアンズ時代に体得したドラミングが一番生きる場所かもしれません。次回ライブはは7/13(SUN)@TROCADERO HOUSE

POMERANIANS
バンド「ポメラニアンズ」にてメンバーとして2007年まで4年間活動を共にする。その間、通算シングル4枚、アルバム3枚をリリース。またFUJI ROCK'04, RISING SUN ROCK FESTIVAL'05, SUMMERSONIC'06など日本の大型フェス出演や、日本のミュージックシーンで現在活躍している風味堂・チャットモンチーなど、たくさんのアーティストと一緒にツアーを回るなど、活動は多岐に渡った。2007年10月に脱退。現在もバンドは活動中。

斎藤真実
人気TV番組"あいのり"に「おまみ」として出演する前から音楽活動を続けていた彼女。
ずいぶん昔からの付き合いで、2006年よりサポート開始。
アーティスト仲間でもあり、深い親友でもある。

ドラム教室
下北沢にてドラムの個人レッスンを開催中!要望があれば、別日程・別の場所も組めます。詳しくはメール(mailtoyuki@aol.com)
をください。



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ユウキ プロフィール

ユウキ プロフィール(2006年05月現在)




頭はドレッド。
叩くのはドラムだが
どちらかというと叩かれる方が好き!?
中身は良くも悪くもスポンジ状態。
なんでも入るぜ!
楽しいこと、刺激を常に探しております。
楽しいところにしか現れない。
そんな単純なスタンスで生きております。

最近オリエンタルラジオのあっくんに似てると言われます。
平原綾香に似てる(!?)とおっしゃる方もたまにいます。
若干1名スキマスイッチだという人もいます。


趣味:散歩 カフェ巡り 読本 映画 歌 ギター

割りと本気な趣味:写真 曲づくり

本業:ドラマー(?)

求めている:刺激

最近気になる:JAZZ 絵全般 美術館・博物館巡り

ずっと気になっている:我が師匠たち カッキー 周りを取り巻いてくれる仲間達 




生い立ち:

1982年11月6日 広島県はみすずが丘にて生を受ける。
物心つく頃には、千葉県市川市にある社宅に引っ越していた。
またまた松戸市に引っ越し、幼稚園から小学校4年生までここで過ごす。

やんちゃな幼少時代。
すさまじい伝説を方々で残す。
人に石やモノを投げるのは当たり前、
機嫌が悪くなると後頭部を壁や床に打ちつけ、
目を放している隙に
三輪車で止まっているダンプカーの底面をキコキコ潜り込んで見て回ったり、
タクシーに勝手に乗り込んで運転手を困らせたり
当時の悪友に階段から突き落とされて死にかけたり
壮絶な幼少期でした。
決まって親はお菓子を持って謝りに訪問したんだとか。
精神病なんじゃないかと親に病院に連れて行かれそうになったほど・・・。
連れて行かれなかったのは奇跡だったと思うよ、マジで。

小学校時代はこれまたやんちゃの極みで、毎日毎日誰かとケンカして帰ってきた。
その代わり遊ぶのは大勢で遊ぶのが大好き。
帰りには5,6人の友達を連れてきてよく親を困らせたものだ。
ガキ大将みたいなものに、どこか憧れていたのだと思う。
毎日ケンカしているうちに、ついてくる友達も減り
少しずつ独りになっていった。
姉の影響でエレクトーンは小学校に4年間、地元の音楽教室で習っていた。
でも車・機械好きで始めたエレクトーンだったから、最後は辛くてしゃあなかったなあ。

そんなある日、インドへの転勤が決まり、それから3年間。
中学校1年までインド・カルカッタ(現コルカタ)に住むことになる。

現地に到着して空港を出ると、すぐに洗礼を受けた。
2,30人の乞食にぶわっと周りを囲まれ、
我が先にという感じで頼んでもいないのに荷物を持ち運び始めた。
あとでチップを要求するためである。
そのまま荷物を持ってかれてしまうのではないかとさえ思った。
車に乗って動き出しても、走り出すまで道をゆずらないのだ。
当時10歳の僕にはショッキングな出来事だった。

家に着くと、これまた環境がひどい。
停電やヒューズが飛ぶのはもはや日常。
断水もしょっちゅう。
水もミネラルウォーターでさえ身体に合わず、
大変な思いをした。

カルカタに入って2週間後に
とうとう兄弟3人揃ってデング熱に犯される。
蚊を媒介として発病する病気だ。
2週間もの間、40度の熱にうなされ
水のような下痢と嘔吐に襲われトイレとベッドをフラフラ往来する。
医者がまた信頼できなくて、彼らのキメ台詞
「マラリアかもしれない」
の一言で直径1.5cmはある錠剤の薬を飲まされ
(当時錠剤がどうしてもノドにつかえて飲めない私には地獄だったのである)
結局マラリアではなかった。
喜んでいいのやら悪いのやら…。

ここで、3年も暮らさなければならないのか…。
ハッキリ言って最初はそんな絶望的な心持ちだった。

ようやく慣れてきたのは1年経ってからのこと。
別の素敵なマンションに引っ越してから、
停電や断水も少なくなり、
何より身体が現地の風土に順応してきたのだ。

引っ越してからの家は3F建てのマンションの1F。
リビングは日本の実家の3倍くらいある。
寝室は3部屋。各部屋にトイレとオフロが個別に付いている。
しかし家賃は日本の何倍も安い。
日光浴に最適なテラスなんかもある。
テラスからはキレイに整えられた芝生の庭が広がり、
花壇が周囲を囲んでいた。
今考えれば優雅な生活をしていた。

2Fにはカランという同年代の少年が住んでいて仲良くなった。
一緒にクリケットや自転車で近くの植物園にでかけたりしてよく遊んだ。

向かいのマンションに住んでいた大家さんは
なぜか僕のことを気に入ってくれて
(当時なぜか大人にもてはやされていた)
色んな音楽を僕に聞かせてくれた。
Michael Jackson や Pet Shop Boys なんかを教えてもらった。

同じく向かいのマンションに住んでいた、
日本の領事館に勤める日本人のお兄ちゃんにも仲良くしてもらった。
休日はバドミントン(高校時代国体かなんかの選手だったのだ)や
ワープロのタイピングを教えてもらったものだ。
とてもおいしいビーフシチューをおすそ分けしてくれた事もあったっけ。

通学先はカルカッタにある日本人学校。
毎朝スクールバスが家まで迎えに来る。
ここでは全校生徒が小学生・中学生合わせ5人、
先生が5人というなんとも恵まれない環境だった。
(これがどれだけ恵まれていたか気づいたのは後のことだった)
誰かと問題を起こそうものなら、
異国の地で簡単に独りぼっちになってしまう。
そんな環境が俺の性格をしだいに丸くしていった。
人を好きになるということを知った。

この3年間に何カ国も家族で旅行した。
タイ・シンガポール・バリ・香港・オーストラリア・ニュージーランド・
イタリア・オランダ・スイス・他。
インド国内もいろいろまわったなあ。
アグラ、デリー、ダージリン。
エベレストやカンチェンジャンガも見に行ったっけ。
学校の修学旅行でシャンティニケタンやディガにも行った。

現地では日本人会の間でゴルフが流行っていて、
どこの家族もゴルフをしていた。
俺もいっちょまえに、KIDS用のゴルフセットを買ってもらって練習していた。
親父についてた専属キャディーのタクルゥさんにたくさん教えてもらった。

お手伝いさんが家に4人いた。
ハシムっていう優しいおじちゃんと、ドリーておっきなおばちゃんと、ブブンていうかわいいお姉さんと、サムっていうお兄さん。
ハシムは運転手。インドは基本車移動なのでいろんなところに連れて行ってもらった。
ドリーとブブンは炊事や洗濯をしてくれる。ドリーは何十年も日本人のお手伝いをしてきたベテラン。
日本料理だって大抵のものなら作ってくれる。
サムはお掃除担当。無口だったしあまりしゃべらなかったけど、優しいオーラが出ていたなあ。

言語は、家と学校にいる間は基本的に日本語。お手伝いさんとは英語でしゃべるけど。
外ではもちろん英語で話す。
英語は毎週小学校でも授業があったし、家でも家庭教師に教えてもらってた。
小学校6年生には英検準2級を持っていたし、それだけの単語や文章が理解できれば
日常の会話ぐらいどうってこともないのだ。

いつかブログに書いた今は亡き愛犬、ラッキーさんとの
生活を始めたのも小学校6年生くらいのときの話。
インドの広い家と広い庭を走り回ってたっけ。
あいつもやはり若い頃は超やんちゃな子だったな、
晩年はおとなしくたくましいやつだったけどね。

音楽の授業では、タブラというインドの楽器を使って
特別講師の人が毎週来て教えてくれてた。
俺の太鼓歴の原点。

そんなインド生活も中学校1年の1学期で終了。
夏に日本へ帰国した。
帰国すると同時に、塾を経営している親戚からの誘いで
進学校に編入してみることになった。

受かって選んだのが攻玉社学園という、中高一貫教育校。
もともと海軍学校だったそうな。
地元から松戸まで新京成、松戸から日暮里まで常磐線、
そして山手線を半周して目黒、目黒から目蒲線(現目黒線)で一駅のところ。
初めて訪問したときは気が遠くなりそうになったのを覚えてる。
男子校で、校風は刑務所を彷彿とさせるような、薄暗く地底な感じ。
5クラスある中の1クラスは選抜クラスといってエリートの集まり。
そのうちのもう1クラスは国際学級といって、全員帰国子女のクラス。
そこに編入したのだ。
変わり者ばっかりである。
他のクラスも煙たがっていたようだし。
アメリカから帰ってきたやんちゃな男に無修正のエロ本を見せられて
そんなの見たこと無い俺は面食らってしまってすごくへこんだりしたのは
今でもよく覚えている。

校庭も狭かったし、半分はアスファルトだったしね。
遊んでると横からボールが頭に飛んでくる。
そんな調子だから規則も多くて。
スポーツの向かない学校だった。
唯一温水プールの設備が整っていて、俺は水泳部に入学。
インド時代、息継ぎができないカナヅチから始まり
1マイル泳ぎるくらいまでなってたので少しは自信もあったんだけどね。
部活ってすごい。平均3キロとかみんな平気で泳ぐわけ。毎日だよ。
速い人は秒速2メートルの速さで泳ぐし、
気づいたらすっかり挫折したみたいになってしまって
割りと人を先導したり率先したり目立ちたがりなタイプの俺が
良くも悪くも初めて3年間も人に追従した時期。
やたらマッチョで気性も激しいヤバ恐ろしい先輩もいたし。
中学校1年生と高校3年生じゃアリと象ぐらいの差がある訳です。
今考えると根性だけで続けてた気がする。
根性の甲斐あって中学校3年時には背筋力210kgという恐ろしい数値を叩き出し
おかげで背はあまり伸びなかった・・・。体格はよくなったね。

中学時代の家での生活ではいち早くパソコンを導入した。
中学校の入学祝いとして買ってもらったのだ。
WindowsはもちろんVer.3.1。14.4kpsのモデムを使ってダイアルアップの時代から使い始めた。
まだ映像のストリーミング再生なんて夢だった時代。
毎半月に発行されるDOS/Vマガジンという雑誌を2年間精読して
今思えば軽くパソコンのハードマニアだった。ハードってハードボイルドのハードとかじゃないよ。
Pentium75MHzのCPUクロックをいじって100MHzで動かしたりとか、
なけなしのお小遣いで8MBのメモリーを16MBに増設したり、
540MBのハードディスクに1GBのハードディスクを増設したり。
WINDOWS95をインストールしたり。
当時中学生の俺には大冒険だった訳です。1回につき1万以上飛ぶしね。
あとゲームにも相当ハマってたっけ。
3Dの飛行機のフライトシミュレーションやシューティングとかね、
「A列車で行こう」っていう街づくりのシミュレーションゲームとか。
まあ青春は誰でも傾いたりするから青春なんじゃないだろうか。
俺はどうもこっち側に傾いたらしい。
無駄な時間の過ごし方をしたといえばしたような気もするが、どうなんだろうね。
でもブラインドタッチとか、パソコンの構造が分かってたりすると案外今でも役に立ってる。
中学校の卒業論文も「沖縄」をテーマでいち早くインターネットで調べて優秀賞になった気がする。

そんな経緯を経て、青春の後期はパソコンから音楽に移っていった。
音楽は中学校時代DTMを勉強しに以前の音楽教室にまた通うようになっていた。
DTM(Desk Top Music)とはパソコンを使ってシンセサイザーをコンピュータに弾かせることを言う。
一番身近で使われている例を挙げると、通信カラオケとか着メロ。
ようは指定した楽器の音符を作って、それをシンセサイザーに弾かせる作業。
機械好きが、功を奏した例だね。ここからドラムに繋がっていきます。

ドラムは中学校の終わりに始めた。
DTMを操作するためには、それぞれの楽器の特性を知らなきゃいけなかったので
その一環で実際のドラムセットを叩こうってなったのが始めるきっかけだった。
叩いてみたらぶったまげちゃったんだよね。
なんであんな丸い円筒のモノから大音量がでるのか、
なんであんな丸くて薄っぺらい鍋の蓋みたいなモノから神々しい音がするのか
全く持って分からなかったんだよね。今でもよく分からないもの。
でも人が叩いてるところ見てすごくカッコイイと思えたんだよ。
ああ、これ俺もやりたい!!
ってのが俺の初期衝動。
だから、誰かドラマーが好きでドラマーになったのではないし、
何かの音楽が好きでドラマーになったのでもない。
ドラムが好きだからドラマーになったのだ。

高校に入ると早速バンドがやりたくなるものの、
我が校には軽音部なるものがなかったので、個人的に友達とバンドを組むことにした。
水泳部は辞めた。
クラスメイトを募って、学園祭に目標を定めたバンドを結成した。
練習はもちろん普通のスタジオ。お金がかさむかさむ。。。
GLAYとかX JAPANとかやったなあ、選曲が男子校っぽいよね。
翌年はギタリストの希望でDeep PurpleのSpeed Kingとか
ボーカルの希望でBON JOVIとかやったよね。MR.BIGもやったかな?
やっているうちにどんどん物足りなくなって、大学生と一緒にやるようになった。
オールナイトでスタジオとか入るようになって、気持ち不良。
でもそんなのが楽しかった。
オリジナル曲を始めたのもこの頃だよね。
ある日ESPという音楽専門学校のでっかいスタジオホールでTV撮影する機会をもらった。
これは先日のポメのスタジオライブに負けないくらいの規模での撮影だったので、気分はスターである。
あまりの演奏力の低さにカットになったんだけどね…(笑)。
またある日、アメリカからの帰国子女の友人から
全米でインディーズデビューしたバンドの日本人ギタリストの帰国が決まり、
日本でバンドを探しているんだけど勇気やってみないか?
という話しが飛び込み、早速帰国した彼とコンタクト。
ギターは彼の大学のクラスメイト、
ベースは以前にいつか一緒にセッションした社会人の友人を誘い、

結成したのが SPR/T(スプリット)である。
ちゃんと活動したオリジナル・バンドとしては、このバンドが最初。
1発目のライブは2000年頭。高校2年生の冬のことだった。
初めてライブハウスと呼ばれる場所でライブをやった。
友人を集めて集客は14人ぐらい。
2発目のライブは1ヵ月後。
口コミで28人ぐらい遊びにきてくれた。
3発目のライブはさらに1ヵ月後。
口コミが口コミを呼び2マンで、下北沢屋根裏を満員の75人にした。
ちょっとした話題になって毎月ライブをやるごとに50~100人呼べるバンドにまで数ヶ月で成長した。
世田谷FMの高校生の番組にも出演させてもらったり、盛り上がってた。
今になっても音楽を続けずにはいられない大きな衝動になっていく。
ところが結成後すぐに大学受験がスタート。活動休止に追い込まれざるを得なくなった。

高校3年生の夏から本格的に受験勉強をスタート。
どういうわけか、俺は6年間ほぼ無勉強のくせ国立理系コースいわゆるエリートクラスに食い込み、
そこでクラスビリの記録を更新していた。
クラスでは「浪人」のあだ名がつくほどだった。
音楽で仲良くなった大学生から色々と話しを聞いているうちに、理系は大変・忙しいという話しを耳にした。
大学に行って音楽ができなくては大変!!と、夏休みの終わりに急遽文転。
ああ、夏の勉強ムダにしちゃった…。9月からの再出発である。
理系クラスの中で数ⅢCの微積分の授業中に独り英語と国語と数学ⅠAⅡBを勉強していた。
浪人というあだ名も挽回したかったし、
なにより本当に浪人してしまったらあともう1年、バンド活動に根を下ろせなくなってしまうのだ。
初めて自分の意思であんなに勉強したよ。
自分の好きなものじゃなくても、案外やりこんでみると楽しくなってくるもの。
終盤は勉強が楽しくなっていた。
直前は1日12時間とか勉強してた記憶がある。
私立の3科目受験に照準を合わせて、センターさえもサボって勉強してたっけ。
たった半年の受験勉強だったがなんとか第3志望くらいの大学に無事現役合格できた。


早速バンド活動を再開。
大学にも無事入学。
自主制作で音源も作り、直後にオーディションに合格
大きな舞台に出ることになる。
渋谷のON AIR EAST(現O-EAST)にてライブ。
初めて集客人数千人を越えるステージでやれて大興奮。

大学の最初の2年間は厚木キャンパス。
僕らが厚木キャンパス最後の世代。
今は移転して淵野辺にキャンパスがある。
厚木キャンパスはとてもアクセスの悪いところで、
本厚木の駅からバスで30分ほどのところにある。
千葉の実家からはどうしても片道3時間かかってしまうので
やむを得ず一人暮らしを始める。
サークルにはちょっとした軽音楽部に入部。
しかし肌が合わず、1年で退部してしまった。
大学から多くの著名なミュージシャンを輩出しているのもあり
もう少し音楽活動の盛んな大学だと期待していたのだけど
それはハズレだった。

大学1年目(2001年)の10月。
初の自分主催イベントを開催。
上智・慶応・青学の軽音サークルのバンドを寄せ集め
厚木のFUZZYという今は亡きライブハウスでブッキングした。
大学生ならではの企画である。
宣伝から製作まで全て自分たちでこなした。
チラシから何から何まで手作り、そして手探り。
みんなに本厚木の駅前でビラ配りを手伝ってもらったりしたのも懐かしい。
千円札に似せた定価1,000円のチケットを徹夜して印刷したのも思い出深い。
キャパ800人のオオバコで、お客さんもまあまあ入って盛り上がったし、
我を通して友人のドラマーとツインドラムの企画をやったりもした。
初めての企画にしてソコソコの成功を収めた、貴重な体験だった。
いくつか反省点も残った
ライブ前後の数日プレッシャーに追い込まれ
生まれて初めて神経痛に悩まされた。
すこしだけアガりが出てみんなで打ち上げた。
生まれて初めて胴上げされた素敵な思い出。

2年生(2002年)の春。
我が師匠、ドラマー中島肇氏と出会う。
僕の人生を変えた、とてつもなく大きな存在との出会い。
僕にたくさんの要素を注ぎ込んでくれて、
たくさんのチャンスを与えてくれた。
2ヶ月間ドラム教室に通ったのち、
勇気なら大丈夫と、弟子にして頂いた。
中島氏のローディーとして精一杯お手伝いした。
今も都合さえつけば、手伝いに飛んでいく。
ドラムにとどまらず生き方そのものを教わった。
本当に素敵で最高の師匠なのだ。


2年生の夏~秋
ESP音楽専門学校のオーディションに受かり
SPR/TでトライスクルエンタテインメントよりCDをリリースすることに。
初のインディーズデビューである。
ESPのマネージメント科のみんなにバックアップしてもらいながら、
初めてのレコーディング・スタジオでの録音・ミックス・マスタリング。
PV撮影、アー写撮影など、たくさんの初体験を得る。

またSPR/Tと並行して、さまざまなバンドのサポート活動を開始する。

2年生の秋~冬
ある日町田で、ドラムソロで路上ライブをやっている方がいて感銘を受ける。
僕も何か面白いことができないかと、ベーシストKEIとデュオ結成。
「.5(てんご)」と名乗る。
本厚木駅前にて、ドラムとベースだけでFUNKセッションを路上にて行った。

路上の活動に目を付けてくれたペルーの人とハコバンを始める。
厚木の奥の方にブラジル街みたいなところがあって、
その一角にあったバーでライブをする。
音楽はサルサ・ラテン系。
彼らとは今でも仲良くしてもらっていて
六本木で一緒にセッションしている。

2年生の年明け(2003年1月)。
去年製作したSPR/TのCDがいよいよリリース。
しかし、メンバーの就職活動によりバンドは休止状態に追い込まれ
残念ながらそのまま解散。

以後サポートと中島氏のローディーに明け暮れる日々が始まる。
その時期に参加したサポートバンド数は20バンド近く。
歌モノからカヴァー、ロック・パンク・ミクスチャー・ポップス・ラテン・ファンクに至るまで様々な音楽に参加。
10バンド同時に掛け持っていた時期もあった。

2003年5月

中島氏のバンドPOWWOWのライブリハーサルで
ふとしたキッカケで僕がドラムを叩くことに。
当時POWWOWのサポートプレイヤーだった
ザッキーさんが僕のことを気に入ってくれて
幻弐号のライブに足を運んでくれたりしていた。

サポート活動の方は軌道に乗り始め、
バイトをしなくても食いつないでいけるようになった。

2003年11月

ザッキーさんからドラムのお誘いがかかる。
僕からしてみたら、師匠と一緒に活動している
雲の上の存在ともいえるミュージシャンからのまたとないお誘いだった。
大興奮して二つ返事でお願いしたのを覚えている。
12月にはポメ初スタジオである。

2004年1月
POMERANIANSに正式加入。
加入して2週間後にPOMERANIANSの
1st ALBUM "DIG THE SLACK MUSIC"のレコーディング。
まだレゲエの「レ」の字も知り得ない僕にとって、
最初はなにかと試練が多かった。

2004年5月
1st ALBUMリリース。
その後恐ろしいぐらいのトントン拍子で、
8月
フジロック2004に出演、
フジロックに出たいという夢を持つ前に叶ってしまった。
10月
大阪・ミナミホイール2004に出演したりと、
自分の身の回りに何が起きているのか分からないまま
ものすごいスピードでバンドが回りだす。

2005年3月
2nd ALBUM"雑踏ダイバー"リリース。
アルバムリリース後、すぐに全国の主要都市をツアー。
POMERANIANSが多忙になってきたため、
バンドサポートを全て終了。

2005年夏
エゾ、RISING SUN ROCK FESTIVAL 2005にポメラニアンズで出演。

2006年1月
3rd ALBUM"レインボークライマー"リリース

3月
ツアー"VINTAGE LEAGUE"。藍坊主やつばき、JACKSON VIBE、チャットモンチーなどと一緒に、北海道から広島まで全国をまわる。

5月
SWEET LOVE SHOWER前夜祭に出演。


SUMMER SONIC 06 BEACH STAGEにポメラニアンズで出演。

11月11日
INU ROCK FESTIVALというイベントをポメラニアンズで提案。
犬のバンドだけを集めた夢の共演。
SUPER BUTTER DOG / Scoobie Do / DOBERMAN / POMERANIANS

2006年12月10日
渋谷クアトロにてポメラニアンズでワンマンライブ。

2007年

1月
"おまみ"こと斉藤真実の楽曲のアレンジ・レコーディング・ミュージシャンの選定をサポート。
レコーディングは様々な方面から協力を経てようやくDAW(自宅PCレコーディング)環境が整う。

2月
下北沢フレンチのビストロ、TROCADERO HOUSEにて
3Fのライブスペースのコーディネートを担当。
昨年暮れに具体案をプレゼンし、2月からプロジェクト本格スタート。
システムからレイアウト、アーティストブッキング、マネージに至るまで総括して考案・管理。
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by youchang_pome | 2001-01-01 00:00 | Profile


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